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選侍王氏(せんじ おうし、? - 万暦43年6月7日(1615年7月2日))は、明の泰昌帝の皇太子時代の側室。
万暦年間、皇太子朱常洛(後の泰昌帝)の邸に入り、選侍(皇子の側室)となった。万暦37年(1609年)7月、皇太子の三男の朱由楫を産んだ。
万暦43年6月7日(1615年7月2日)、死去した。翠微山に葬られた。万暦44年12月20日(1617年)、実子の朱由楫も早世した。崇禎元年(1628年)、朱由楫が斉思王と追諡されたが、王選侍に追諡はなかった。